2016年 01月 05日
寝込む年頭 |
私はチンドン屋とか門付け芸人とか虚無僧が昔から大好きなのでちょっと前にアマゾンで中公文庫の初代高橋竹山「津軽三味線一人旅」を古本で購入していてまずそれを読んだ。高橋竹山は幼いころ病気で半失明し、芸歴の始めを物乞い芸人として辛苦しながら送った人だが、放浪中は周囲にインチキな露天商とか色んな人がいて、生活自体は辛酸を極めているのだが話として読むのは他人事なので面白かった。私が一番興味深かったのはやはり芸の技術に関するところで、高橋竹山の三味線の師匠であった戸田重次郎という人は二十歳過ぎて失明してから三味線を教わったせいで、演奏の腕は、弟子の竹山曰く、「うまくはなかったが、筋道のしっかりしたいい三味線だった」とのこと。つまり基本をしっかり学んでいたということである。半分以上我流で仕事をしている私はこの基本とか基礎とかに反応してしまう。基本とは具体的にどういうことなのか。修業させてもらった那覇のガラス工場のバックヤードの隅には随分前から放置しているらしい大きな浮き球や水差し、菓子瓶などがほこりを被っていたが、どれも実に見事なもので、基本をゆるがせにしない吹きの技術の奥行を感じた。一代で出来るものではないなと。だが実際にどういう学び方をしたらこうなるのかは全く分からなかった。
そのあと勤めた予備校で古文の授業を担当した。どの生徒も当然まずは古典文法を学ぶわけだが、成績がいつまでも伸びない子の特徴として、基礎ばっかりやりたがるというのがあった。無論文法の基礎を全く知らなければ古文は読解できないのだが、ある程度ざっと文法を眺めたら自信はなくともすぐに問題に当たったほうが結果的に基礎が定着するのだ。
高橋竹山も三味線は人前で弾かないと上達しないというようなことを言っている。つまり実戦の中でしか伸びないということだ。他人の厳しい評価にさらされて初めて基本に立ち返るというのは確かにある。昔の浮き球も均一でなく薄い部分とかあるとすぐにガチャンと割れてクレームクレームだろうから。
そうすると私なんかもとにかく数こなして人に見てもらうのが良いのだが、それでもやはりデザインと買い出しだけやって製作は誰か代わりにやってくれんかなという考えが頭を去ることは決してないのだった。
そうこうしながらも年初に新作の試作をしてみたのでこれを厳しい他人の目に晒さんと画像を掲載するのである。名前は「銘々シャーレ」ともう決まっている。
by satofukigarasu
| 2016-01-05 09:59