2016年 12月 02日
左藤時計零年 |
何年もの間懸案だった時計の制作が一段落した。何度か、これはもう無理かなと思ったがいつになく粘りに粘って9割方完成して、後は細かい部分の完成度を上げるという、どちらかと言えば楽しい作業。
なんで自分はこうも時計に執着するのかちょっと不思議に思っていたが、これを作っている途中、犬のオシッコのため夜中に外に出て空をぼんやり見ていてふと気がついた。気取った言い方だが、時計は自分にとって「月のメタファー」なのだろうなと。みんなそうかもしれないが私は月が大好きだ。子供の頃は擦りガラスのような月が何かの拍子にカシャンと落ちて来て、それを必死に取ろうとするような夢をよく見ていた。取れそうで手が届かない、見上げると空に浮かんでいる、気まぐれに見えても機械じかけで姿を変える不思議な目盛り。
月、お月様といえば稲垣足穂の「一千一秒物語」を思い出す人も多いだろう。「お月様」がカフェーでダラダラ飲んでいたり、不良少年と殴り合ったりするあの話を私も何度も読み返したが、足穂の月の話で一番好きなのは「黄漠奇聞」だ。昔々砂漠の地に王国を建てた若い勇猛な王が、夜空に浮かぶ月を人工的に作り出そうと学者や技術者に命じては失敗した者を処刑し、ついに錯乱して月を討ちに出奔して二度と帰らない、というこの話の、美術や詩歌で月を再現するのではなくてほんとに人工で作りだそうというところが何かたまらない。バブルクンド、などの足穂の創作した地名、人名もいい。
そういうわけで、和紙の文字盤は冷たい月面、風防ガラスは地球と月の間の大気、ということになるが、一番苦労したのは金属製のケースだったりする。道具にも随分お金を使った。でも楽しかった。来年早々にも製品版の初号機が出来上がる。
by satofukigarasu
| 2016-12-02 12:01