2016年 12月 21日
ガラス村再訪(25年振り) |
木村衣有子さんの著書「はじまりのコップ」の中で私が「ポンテ」の技術を自慢している箇所がある。沖縄修業中はポンテと下玉専門だったのでそれは上手くなって当然なのだが。ポンテというのは下の説明プレート(ⓒ琉球ガラス村)で分かる通り、ガラスの底にもう一本竿をくっつける技術で、先端のガラスの形状を上手くやらないと切り離した痕がめちゃくちゃ汚くなるというわけだ。
ところが私の習得した技術は今はもう完全に役に立たない過去の遺物になっていて、切り離し跡がどんなになっていようが「酸素バーナ」でちょっと炙ればなめらかな面に仕上がってしまう。あっけないものだ。うちはまだポンテ痕を残す仕上げをしているがいつか導入するかもしれない。 ところで私が那覇の奥原硝子製造所にいた頃はポンテなどという呼び方はせず「ボンテン」である。最初の頃は段取りが分からず先輩の職人に「ボンテーン!」と大声で指示されたりしていたものだ。琉球ガラス村の旧作業場の壁にもこのとおり、まだ古い呼称のプレートが掲げられたままである。
沖縄の人はやはり本土に比べておおらかというかいい加減というかあまり細かいことをうるさく言わず、工房内が撮影自由なのは観光施設という性格上分かるのだが、敷地内のいたるところにちょっとこれは隠した方がいいんじゃないかとか、ここは入れないように柵を作っては、という場所があって、例えば、 これはガラスを吹きこむ「型」の残骸で、或いは試作品かも知れない。普通人目につく場所に置かないとおもうのだが、付属のガラス美術館(無料)に入ろうとしてちょっと辺りを見回すと目に入る場所にあった。我が千葉県内のある吹きガラス工場ではショップの前に飾られた大きなネコツボ(坩堝)も「撮影禁止」である。ネコツボの肖像権はネコツボを作った坩堝会社にあると思うのだが。ただ、いくら温厚なウチナーンチュといえども許せないことはあって、決められた場所以外に車を無理やり停めようとすると、 こういうことになる。「たっぴらかす」とは、平らにする、の意で、意訳すると、ブッ飛ばす、くらいのニュアンスか。なかなかの絵心ではないか。
by satofukigarasu
| 2016-12-21 12:42