2015年 08月 12日
はじまりのコップ外伝 |
さて、木村衣有子さんの「はじまりのコップ」はまず好意的な感想を聞いてほっとすることが多い。よかったよかった。
巻末に私の書いた拙い「あとがき」も掲載されているのだが、その出だしで、自分がなんでガラスを志したか憶えてない旨書いた。大体の人は実はそんな事憶えてないのが普通だと思う。それでもむりに理由らしきものを探すと、私の場合、人間の幅を狭くしたい、みたいな気持ちがあったように思う。
今本屋さんで、「暮らし」とか「ライフスタイル」みたいな書棚をザザーッと見ると、多すぎる物を整理したり捨てたりする本がすごく多い。断捨離みたいな。確かに物を捨てるのは気持ちいい。所有する物の数がそのまま煩悩の数であるとか言うし。だがこれが人の経験の量の話しになると、とにかくいろいろ経験した方がいいという意見が大勢だろう。何事も経験だ、みたいに。だが私は十代の頃から、自分は何か一つのことだけをコツコツ一生懸命にやらないと、没入しないと、もの凄いいい加減な駄目野郎になる予感があった。本当に嫌な半可通になる予感が。人はならなくても自分は必ずなるだろうと。それで今までなるべくたくさんのことを経験しないような路線で生きてきた。その結果、色んなことを経験していない。まず海外に行ったことがない。カラオケをしたことがない。ビアガーデンに行ったことがない。野球とサッカーの試合を最初から最後まで見たことがない。人がしてくれるから自分はいいと思ったのだ。あと、たまたま自分の周りだけだと思うが、世界中を放浪とか数多の職を経験、とか言う人に結構料簡の狭そうな人が多かったというのもあるかもしれない。
それでずっとガラス一筋に生きて来て、今回取材を受けて書籍化という流れを想像する人がいるかもしれないが、そっちの方は全然そうならなかった。むしろこれだけ無計画かつ弱い意志で、流されるように、吹きガラスという結構厳しい世界に居続けた点が面白いかもしれないので、その辺は本編を購入してお楽しみください。以上販促でした。
by satofukigarasu
| 2015-08-12 20:41